4/30 0530時、横殴りの雨がテントを叩く音に起こされる。



さて、この日の野営ですがね。何度も夜中に叩き起こされました。


エスコンゼロ1

―知ってるか?俺がこの夜叩き起こされた原因は3つある。

DQNの花火、強風、横殴りの雨。この3つだ。あいつは―確かにエースだった(安眠妨害的な意味で

あと寝てる時以外にも、設営した直後くらいから急に風が強くなり始め、断続的にそんな状態になるもんだからテントから出れずじまいでした。ペグでテント固定してなかったことをここで後悔しました。おかげで歯磨きすらできてません。

横殴りの雨は止みそうにないので、起き上がって出撃準備。東屋の下には建てたものの、外に少しはみ出てたので、テントはビショビショ。朝からテンションガタ落ちです。

そして濡れながらテント畳むわけにもいかないので、藤の木で屋根ができている炊事棟でテントを畳んでいたんですが

上からナメクジ降ってきました

しかもテント畳むために屈んでたので、ちょうど襟と首が隙間開いてる状態でしてね、その隙間に狙ったように落ちてきやがりました。


ホントついてないですね

いいえ、ICチップがついてます

反射的に手を突っ込んでナメクジは遠投してやりました。

不幸だわ・・・ 朝からそんな言葉が脳裏をよぎりますが、準備しないことには前に進めないのでベッタベタのテントを丸めて袋に詰めて出発します。時刻は0630時。


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<<抜錨!!Baker7、出撃します!!>>


出発後は進路を西へ。雨の降りしきる中、島原半島へのフェリーの発着する鬼池を目指します。距離はおおよそ50kmです。


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そしてフェリー乗り場到着。意外と車が多くて到着は8時過ぎになりました。おかげで8時発のフェリーは逃しました。ちくしょーめ。あと雨はこの時点で上がってます。


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冴えぬ空ですが、空気は澄んでいます。これから向かう島原半島もよく見えます。


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そしてフェリーへ。車両甲板へ相棒を置いて客室へ。


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天草に別れを告げ、一路島原半島へ。乗船時間は40分ほどとそんなに長くないです。
ちなみに運賃は490円。ワンコインでおつりがくるほど経済的。こういう時に原付のコスパを実感します。


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そして島原半島、長崎県へと上陸。これから雲仙普賢岳へと近づいていきます。

港からは国道389号を北上していきます。山をそれなりに登るので、相棒のHA02Eも全開の雄叫びをあげて進んでいきます。

雨は上がっているものの路面はウェット。さらに山の中の道の宿命ゆえ、落ち葉なんかも結構あるため慎重に進んでいきます。


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そうして山の中を進んで到着したのがこちら。雲仙地獄です。前が見えねぇ。あと硫黄くさい


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地獄とは温泉とか噴気の集まるところを指します。3日目に霧島高原あたりで見た新湯温泉もそれに類する場所です。
誰が地獄と言い出したかは分りませんが、木々が青々とした場所に、忽然と白い岩場に噴気と硫黄臭が立ち込めるものが出現したら地獄といいたくなるのもわかりますね。


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いたるところから蒸気が出たり、温泉が湧き出て流れていたりします。リアル地獄絵図。
この雰囲気は写真ではあんまり伝わんないですね。やはり五感で感じないと。


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硫黄が結晶化してるところもいたるところにあります。


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大叫喚地獄という場所。雲仙地獄で一番盛んに噴気を上げている場所で、その高さは30~40mにもなるそうな。


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地獄は火山ガスの影響で草は基本的には生えてませんが、ガスの影響をあまり受けてないであろう場所は、こんな感じで地獄に似つかわしくない花が咲いてたりもします。


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遊歩道そばにも温泉が湧いてるとこがたくさんあります。具体的な温度は手を突っ込んでないのでわかりませんが、多分やけどする(確信)


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そして近くの旅館なんかで温泉を使うために、あちこちでこんな工事をやってたり、パイプラインが引かれてます。あと、遊歩道も工事中だったので工事してる場所が大量にありました。

去年行った川原毛地獄は工事とかしてなかったし、人も少なかったので大自然的なものを感じるならあっちのがいいかなーと思いました。そういえばあのツーリングまだ記事にしてないのを思い出しました。


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地獄の中を国道が突っ切る光景、なかなかないと思います。草津のほうも所々こんな感じでしたか。

あとは出発、と行きたいところですが


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地獄、温泉・・・というわけで温泉卵です。温泉卵たべりゅううううううううう!!!


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たべりゅ・・・?あれ、これってただの完熟卵j(交信はここで途切れている

さて、腹ごしらえも済んだところで出発です。


出発後は再び国道57号へ。そして仁田峠循環道路へと向かいます。

仁田峠循環道路は一応有料道路。無料開放はされてますが自然保護料的な感じで任意でお金を払います。
道路は車線幅1~1.5車線くらいの林道みたいな道。ただし一方通行になっているので、逆走馬鹿がいない限りは対向車は来ません。車でも安心です。


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この道は途中停車ができないので、ゆっくり景色を眺めつつ展望台まで走ってきました。正面に望むのは平成新山。展望台ではこの写真だけ撮って早々に退却。

登山やロープウェイに乗る時間もないので、そのまま国道389号へ。


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山間部の国道389号を南進。そのまま国道57号へ乗り換え峠を下ってふもとへ。そこから県道207号島原まゆやまロードへと進みます。


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島原まゆやまロードでの1枚。

正面に望むのは先ほどと同じ平成新山。火山らしい禍々しい姿が印象的。曇りのどんよりした空がそれを強調してるようにも感じます。
雨予報だった今日ここへ来たのはこの写真が撮りたかったから。というのは割と大きな理由だったりします。曇りでも生かせる被写体って貴重。


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道のそばからはこんな光景がお目にかかれます。木がまばらに生えている場所が山頂から続いてますが、これが火砕流の痕のようです。

火砕流は1991年の9月に起こったそうなので、わたしゃまだ1歳にもなってないから記憶にもないですが、火山の恐ろしさってやつが目に見えてわかります。しかし24年もたつと疎らながら木も生えてくるんだなーと。

・・・ってなんか桜島でも同じ事書いた気がします。


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ここから振り向くと島原湾を一望する景色が望めます。こっちは晴れてる方がいいですね。やっぱり

大自然のPOWWWWWWWWWWWEEEEEEERRRRR(本ツーリング2回目)を目の当りにしたら、再び相棒のエンジンを全開に唸らせ登板。峠を下りに入って県道58号へと乗り換え、また登っていきます。

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県道58号も基本的に快走路。晴れてれば平成新山あたりが見えるんでしょうが、あいにく雲隠れしてしまい見れずじまい。天気ってやつは難しいもんです。

国道58号を適当に走ったのちに海に向けて下っていき、国道251号へ。そのまま次のフェリーが発着する多比良港へ。


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そして到着。フェリーを待つ間は土産を見たり、隣のタンデムハーレー夫妻とお話したり


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そして島原半島へ別れを告げて、一路長洲港へ。乗船時間約45分、運賃は780円です。

乗船中は今日のキャンプ場探し。そして目的地よりほど近い「菊陽町 ふれあいの森公園」に決定。無料のキャンプ場で、しかも22時ごろまでキャンプインOKとのことなので即決でした。


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そして長洲(ながす)港へと到着。これから向かうのは田原坂という場所です。


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その前に今日の晩飯と明日の朝飯を調達。あまり見かけないコンビニだったので物珍しさからここに行きました。しかし、このコンビニ、九州ではメジャーなんですかね。三重、岐阜、関東とか自分の住んでる場所では見たことがないんですが。


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そして田原坂に到着。

この田原坂、どういう場所かっていうと日本最後の、そして最大である内戦、西南戦争で最も激しい戦いが繰り広げられた場所です。

西南戦争ではおよそ14000人もの方がなくなっていますが、このうち4000人の方がこの田原坂で戦死されたそうです。


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田原坂は全長およそ2km位の緩やかな坂が続く道です。道幅は現在の状態でおよそ1.5車線。

140年ほど前、こんな場所で1日30万発もの弾丸が行き交ったとは想像できない静けさです。


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道中には慰霊碑もありました。手を合わせておきました。


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ほどなく坂を上り切った先の公園に到着。田原坂資料館もここからすぐの場所にあります。


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慰霊碑と西南戦争で亡くなった方の名前と故郷が記された碑。14000人という人の数が目に見えてわかります。

この後はすぐ先の資料館へ。現在時刻はすでに1630を回ってます。閉館17時なのでほんとにザーッと流し見しかできませんでした。

じっくりは見れなかった分を写真で補ってきたんでカカッと紹介


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薩軍兵士の服。学ランってこのころからあったんですね。しかし着物に脚絆姿ってなかなかかっこいい(小並感)


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こちらが官軍こと大日本帝国陸軍兵士の服。八甲田で見てきた服とは若干違いますが紺色に白脚絆の明治時代らしい服。個人的にはやっぱり防暑襦袢に帽垂姿が好きですが、こっちも結構いいもんです。


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そして官軍に組み込まれ、田原坂で活躍した警視庁抜刀隊。

さて、抜刀隊という歌がありますが、これは元士族の強者たちと白兵戦を行い、そして圧倒した抜刀隊の活躍をたたえて作られた歌です。
そしてこれに扶桑歌という軍歌と合わせて行進曲化されたのが陸軍分列行進曲。
現在でも自衛隊や警察で演奏されてる由緒正しい軍歌なのです。


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当時使われた兵器各種。正直スペンサー銃とかミニエー銃とかスナイドル銃とか、前装式と後装式の境目あたりの銃はよくわからんとです。


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帝国陸軍の連隊旗。

連隊旗は天皇陛下より直接授与されるもののために非常に丁重に扱われ、連隊旗手になることは最高の名誉とされていました。
連隊旗手になるための条件は品行方正でイケメン、あと童貞なことだったそうです。イケメンじゃなきゃいけない時点で私は候補から外れます。残念。


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当時の大日本帝国海軍の軍艦。陸でバリバリ戦ってたのは陸軍ですが、彼らの使う弾薬、食糧を運んでいたのは海軍です。この海上輸送による兵站の差もどちらが勝利するかを決定的なものにしていました。

艦の名前も、後に空母だったり駆逐艦だったりになる艦がちらほら。当然ながらすべて外国製。

これがのちに世界最大の戦艦に、最高練度を誇る航空隊を持つ最高クラスの海軍になっていくんですよねぇ・・・なお(


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西郷どんの履歴書。波乱万丈な人生です。今の時代こんな人生送る人なんてそうそういないでしょうね。

一応全部見て回りましたが、たかだか20分程度の見学ではお察し状態。17時の閉館とともに外へと出ます。


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田原坂の景色。本当にのどかです。でもこの付近を掘り起こせば、まだ当時の銃弾が出てきたりするそうです。

見学も終わったところで、今日のキャンプ場へと出発します。


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阿蘇方面へと向かって走ります。阿蘇の山には雲がかかっています。明日は晴れ予報なんですが、本当に大丈夫でしょうか。


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そして菊陽町 ふれあいの森公園に到着。管理棟で利用書に名前とか書いて受付済ませたら設営。ここはバイクの乗り入れができないところなので、駐車場から荷物を運びます。

ここでベルトで簡単に着脱できるパニアの強みを生かしてカカッと設営。


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キャンプ場上空を熊本空港を離陸した旅客機が通過していきます。ソラシドエアのB737-800っぽい。

こんな感じでダラダラ過ごしつつ、日も暮れてきたところで風呂へ。


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風呂はたしか3km位走った先の「菊陽温泉・さんふれあ」というところ。きれいなところでなかなか良かったです。そしてまともな風呂に入るのは3日ぶりです。


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風呂でさっぱりした後は飯。安定のコンビニ飯。


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飯の後は夜空を眺めて過ごします。東京の空よりはきれいな空ですが、やはり平野の街の中なのでそれなりといったところ。

それから寝る準備をして寝たのは確か2300頃。


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DAY 1:::::::::>>535.8㎞
DAY 2:::::::::>>308.7㎞
DAY 3:::::::::>>354.25㎞
DAY 4:::::::::>>287.2㎞
DAY 5:::::::::>>393.3㎞
DAY 6:::::::::>>230.7㎞

総走行距離::>>2110.4km


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